「みどりのまち 浜北」の植木屋  ~弊社のルーツをたどる~

 弊社は静岡県浜松市浜北区(旧浜北市)で、古くから植木の生産を手掛けてきました。 

 浜北は「みどりのまち」や「植木の町」とも呼ばれるほど植木生産が発展し、特に“マキ”や“クロマツ”を主とした庭園樹にその特色がありました。  

 一般的に、植木の産地は東京・名古屋・大阪といった大都市に近接する大規模な生産地が多いのですが、大消費地から遠い「浜北」で、なぜ植木の産地が成立したのか(ひいては弊社がこの地で続ける植木生産のルーツ)を、ご紹介いたします。


  植木生産に適した土壌 ~天竜川との関わり~

 浜北の中で、植木の生産の中心をなす“小林”や“新原”地区は、はるか昔に天竜川がつくった河岸段丘の段丘面上にあります。段丘の高度は低いものの、高燥で水利にも恵まれていません。さらに表面は乏水性で腐食含有量の多い粘土質の黒ボク土(天竜川の運搬作用によって退席したと推定)となっています。

 実は、この「やせた土地」が、植木の生産に適しているのです。

木は、根の先端にある“細根”から水分や養分を吸い上げるのですが、この「やせた土地」では、少ない水分・養分を吸収しようと“細根(右写真の白い根)”がよく発達するのです。良い“細根”が植木の移植の成功につながりますから、ここで育った植木は、どこに移植しても根付きやすく、植木の生産の基盤となりました。


山林苗から植木が発展 ~天竜の林業との関わり~

 上記のような土地のため浜北では、江戸時代中期から苗木の生産が行われ、“遠州苗木”として近県各地に移出されたと伝わっています。また、浜北の北部の天竜地方は江戸時代には育成的林業が確立され、山林苗木の育成も盛んに行われました。これが明治期になると、天竜川の治水のための植林事業もあって需要が増加し、大きく発展しました。

 そういった山林苗の農家の中から、山林苗に手入れをして庭園樹に仕立て上げる先駆者が現れ、大正末期から昭和初期にかけて植木生産が進んでいきました。弊社の創業もこのあたりになります。


マキ・クロマツの素木(荒木)の入手 ~ミカンとの関わり~

 浜北の西部の三方原台地から三ケ日にかけてはミカンの一大産地となっています。(直幹ではなく)曲がりのあるマキの庭園樹の素木(荒木)は、このミカン園に防風垣として植えられていたものを、浜北の植木農家が譲り受けて畑に移植し、育成していました。

 同様に、浜松市の南に広がる遠州灘には、強い潮風にもまれて曲がりのついた良いクロマツの素木が豊富でした。

 弊社もそうですが、この地域の特徴である“遠州のからっ風”が育んだ良質な素木を、周辺で入手できたことが、マキ・クロマツの生産という特色を生んでいます。


高度成長期 ~遠州の綿織物産業との関わり~

 高度成長期、浜北を含む地域は西遠綿織物業地域として発展し、事業者(家族労働力を主体とする小規模工場が大半)は安定した収益を上げていました。そうした事業者が自宅や工場を新築し、すぐ近くで庭(と植栽する植木)の需要が増えていったと言われています。それだけではなく、高度成長期には道路や公園などの公共事業による需要が高まり、浜北の植木生産は本格化していきました。


交通  ~全国のお客様へ~

 浜北は、京浜地域と中京・京阪神地域との間に位置し、高速道路の開通によってそれらの地域との結合が強まったこともあり、浜北の植木は各地域へと広がりました。

 弊社も、そのようにつながっていったお客様に支えられ、現在まで続いております。